#653 終末期医療

 相変わらず猛暑・酷暑の日々が続いています。それに合わせるかのように蝉が早朝から大合唱を行なっています。「蝉しぐれ」というよりも「蝉どしゃぶり」と言いたいくらいです。特に寝室の窓のそばでうるさく鳴かれると睡眠の邪魔です。現在鳴いている蝉はクマゼミですが、シャワシャワという鳴き声を聞いていると、だんだん耳が遠くなってきます。おそらく蝉が鳴く高音が耳の聴力を奪うのでしょう。本当に騒音公害というべきレベルです。以前はアブラゼミが夏の風物詩でしたが、地球温暖化と共に南方にいるクマゼミが優勢となったのでしょうか。
 さて、日本社会の高齢化とともに老人医療が様々な分野で現在取り組まれています。しかしながら、高齢の入院患者の多くは寝たきりで、体をチューブで繋がれ、食事がとれない人は胃瘻(いろう)で命をつないでいます。これは日本だけの医療行為でしょうか。本日はヨーロッパの老人介護事情に触れてみます。かなり長い記事になりますが、ブログ読者の皆様の参考になるのではないかと思います。

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『欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか』
 ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、「自分の国でも寝たきり老人はほとんどいない」とのことでした。一方、我が国のいわゆる老人病院には、一言も話せない、胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、腹部に空けた穴)が作られた寝たきりの老人がたくさんいます。不思議でした。日本の医療水準は決して低くありません。むしろ優れているといっても良いくらいです。「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」
 答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
 その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
 ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。
<欧米が良いのか、日本か>
 さて、欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。
 家内と私は「将来、原因がなんであれ、終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」を書面にして、かつ、子供達にも、その旨しっかり伝えています。
https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20120620-OYTEW61295/
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 また次のような記事も参考になります。

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『延命を選ばないスウェーデン人 延命される日本人 
           死が近いことを本人に伝える国と伝えない国の対照的な最期』
<「終活」は広まったが、延命が多い日本>
 (宮本礼子 内科医)最近、「終活」という言葉をよく耳にするようになりました。少し前までは、死は忌み嫌われ、話題にするのもはばかられていましたが、今では寿命が長くなったことで死は自然なことと捉えられ、タブー視されなくなってきました。また、多くの人が、延命されないで自然に人生を終えたいと思うようになりました。このようなことから、「終活」が世の中に広まってきたのだと思います。
 しかし、本人が延命されずに自然に亡くなりたいと望んでいても、「どんな姿であっても生きていてほしい」と願う家族もいます。特に、元気だった人が突然倒れた場合に多いです。
 延命至上主義や病院経営のために、延命を勧める医師もいます。本人がどのような最期を望むかを家族に伝えていない場合は、家族は悩み、結局、延命を選ぶことが多いです。
 このような理由から、わが国には、人工栄養(高カロリー点滴、 鼻腔びくう や胃ろうからの経管栄養)、人工呼吸器、人工透析で延命されている、 昏睡こんすい 状態の高齢者がたくさんいます。
 一方、スウェーデンの高齢者は延命されないと聞きます。その様子とスウェーデン人の死生観について、長谷川さんに聞いてみました。

<ほとんどの高齢者が自然な死を選ぶスウェーデン>
(長谷川佑子 認知症専門看護師)スウェーデンでは、ほとんどの高齢者は、延命されないで自然な死を迎えます。それは、高齢者が人生の最期に、食べられない、話せない生活を選ばないからです。
 高齢者ケア住宅に暮らす人や、訪問看護を利用している人は、病気が終末期になっても入院せず、住み慣れた場所で緩和ケアを受けて亡くなります。
 延命医療を行うかどうかは、本人の意思が優先されますが、その次は医師の医療的・倫理的判断で決まります。家族が「とにかく生きていてほしい」と延命を希望しても、医師が適切でないと判断すると、延命されずに緩和ケアが行われます。それが可能なのは、医療は国民の税金で成り立ち、必要な人へ提供されるものと皆が理解しているからです。

<終末期を本人に伝える「ブレイクポイントミーティング」>
 それでは次に、認知症の高齢者が終末期になった時に、延命医療ではなく終末期緩和ケアを選ぶことについて、具体的にお話しします。
 認知症は、進行すると昼間もウトウトと眠るようになり、自力で食べることができなくなります。次第にのみこみが悪くなり、むせて栄養と水分が取れなくなります。そして最後は、木や花が枯れるように亡くなります。
 スウェーデンでも、死は気の重い、避けたい話の一つです。しかし、高齢者が食事を取れなくなってくると、医師は、本人と家族にいよいよ終末期に入ったことを知らせます。
 「ブレイクポイントミーティング」と言いますが、これまでの病状、延命医療の持つ利点と欠点(延命医療を行うと今までの生活ができなくなり、痛みや苦しみを伴うこと)を高齢者にも説明します。その結果、ほとんどの高齢者は現在暮らしている所で、延命されないで緩和ケアを受けて穏やかに亡くなることを希望します。
 その時に、高齢者の多くは、人生についての思いや、死を受け入れる自分の気持ちを口にします。しかし、なかにはとても悲しみ、不安になる人がいます。そのような人には、どんなことが不安なのかを聞き、最期まで穏やかに過ごせることを伝えます。そうすると高齢者は「このミーティングがあってよかった」と言います。家族は、いつかこの状況が来ることがわかっていても、やはりショックを受けます。しかし、本人の気持ちを医療者と一緒に聞いたことで、つらいながらも最期の時間を大切にしようという気持ちに変わっていきます。

<認知症であっても気持ちを伝えられる人も>
 (宮本礼子 内科医師)日本では、死が近い人には死の話をしない傾向があります。そのため、本人には聞かずに、医療者と家族が延命医療を行うかどうかを決めています。もちろん、死が近くなると、多くの人は自分の気持ちを伝えられなくなります。しかし、次の2人のように、認知症であっても伝えられる人がいます。私が主治医だった2人の入院患者さんの例を紹介します。

[「もう構わないで」と言った90代女性]
 食べられなくなった90代の認知症の女性に、家族が強く、人工栄養(高カロリー点滴や経管栄養)を希望しました。人工栄養で延命した場合、自力で 痰たん を出せないので痰の吸引で苦しみ、栄養の管を抜く場合は手足が縛られることを家族に説明しましたが、家族の希望は変わりませんでした。本人は私が声をかけてもいつも無言だったので、人工栄養の話をしてもわからないだろうと思い、あえて説明しませんでした。
 しかし、人工栄養のために転院する車の中で、看護師が転院の理由を伝えると、「私のことはもう構わないで。病院を移りたくない。恐ろしい」と言ったそうです。もし私がスウェーデンの「ブレイクポイントミーティング」のように、家族のいる所で本人の希望を聞いていたならば、家族の考えは変わったかもしれません。反省するところ大です。

[胃ろうを断った80代女性]
 80代の認知症の女性は食べる量が少なくなり、息子さんは母親に胃ろうからの栄養を希望しました。本人は普段「食べる」「もういい」等、片言しかしゃべりませんでした。そのため、胃ろうの話をしてもわからないだろうと思い、私はあえて説明しませんでした。
 しかし、胃ろうを造るために転院する日、何も説明していないことに気が引けました。そこで理解できないことを承知の上で、介護タクシーのストレッチャーに横たわる本人に胃ろうを造る話をしました。すると驚くことに、「私、行きたくないです。ここで、ごはん、ちゃんと食べます。年だから、もうそんなことはしたくないです」とはっきり言いました。
 息子さんも私たちもびっくり。本人がまさか理解するとは思っていなかったからです。結局、息子さんはお母さんの気持ちを受け入れ、胃ろうを造らずに、口から食べるだけ飲めるだけとしました。その7か月後、眠るように亡くなりました。

<本人に伝えなければ決められない>
 このように、死が近い認知症の人でも、どのように最期を過ごしたいかを言える人がいます。死が近いことを伝えるのはつらいことですが、伝えないことには、本人は人工栄養、人工透析、人工呼吸器装着等を行うか、行わないかを決められません。スウェーデンでは、死が近いことを本人に伝え、延命されるか、されないかを本人が決めます。
 日本では、高齢者の場合、医療者と家族が医療の内容を決めることがほとんどです。しかし、どのように人生を締めくくるかは本人の問題です。医療には本人の意思を反映させるべきです。最近わが国でも、アドバンス・ケア・プランニング(ACP=人生会議)(※)を行い、終末期医療で本人の意思を尊重することが勧められていますが、その取り組みはまだ十分ではありません。
 誰にでも、いつかは死が訪れます。その時のために、私たちは日頃から、どのように最期を迎えたいのかを家族や医療者に伝え、書き残しておきたいものです。
※将来の医療や介護について、本人、家族、医療・ケアチームが話し合うこと。
https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20250218-OYTET50002/
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『枯れるように最期を迎えるスウェーデン人 水分・栄養補給で溺れる日本人 
                   穏やかに亡くなるために必要な医療とは?』
<スウェーデンの緩和ケアとは>
 (宮本礼子 内科医)前回のコラム のように、スウェーデンのほとんどの高齢者は、現在暮らしている所で延命されずに緩和ケアを受けて亡くなります。スウェーデンの緩和ケアとは、どのようなものでしょうか。現地で、認知症専門看護師として働く長谷川佑子さんに聞いてみました。

<看護師の判断でモルヒネ投与も>
 (長谷川佑子 認知症専門看護師)終末期の緩和ケアは、病院でも高齢者施設でも、痛みや不安などのあらゆる苦しみをなくし、あるいはできるだけ少なくし、患者さんが穏やかに過ごせるようにすることです。
 医師は、終末期の苦痛緩和のために「緩和ケアセット」という複数の薬剤を処方します。モルヒネの皮下注射などの麻薬も含まれています。看護師はその中から、自身の判断で、いつでも本人が望むだけ、薬を投与することができます。
 家族には「この薬で痛みがとれる分、ほぼ 昏睡こんすい 状態で会話ができなくなったり、呼吸が弱くなって命が短くなったりすることがあります。でも、穏やかに最期を迎えられます」と説明します。多くの家族は「命が短くなっても苦痛をとってほしい」と言い、薬剤の使用に納得してくれます。そのため、ベッドサイドで付き添っている時に、本人が少しでも顔をしかめることがあれば、職員を呼んで「薬を投与してほしい」と言います。

<痰が出ないので吸引はしたことがない>
 私が日本の病院に勤めていた頃、終末期の患者さんは 痰(たん) がひどく、吸引をするのは当たり前でした。痰が取れると呼吸は楽になりますが、吸引する時にせき込み、とても苦しんでいました。
 一方、スウェーデンの病院では、高齢期疾患科に勤めていた7年間に痰の吸引をしたことは一度もありません。高齢者施設に移ってからも吸引をしたことはありません。
 なぜなら、痰がほとんど出ないからです。時々、心臓の働きが悪く、肺に水がたまる患者さんがいますが、点滴や経管栄養をしないために脱水になります。2、3日もすると、静かな呼吸になります。スウェーデンでは、終末期の患者さんの呼吸がとても穏やかなことに驚きました。
 日本では、終末期であっても点滴や経管栄養をします。体に余分な水分を入れるため、痰が多くなったり、肺に水がたまったりして、患者さんに苦痛を引き起こしていたことに気づきました。

<血圧測定や心電図モニター、血液検査など一切なし>
 また、こちらでは終末期に、血圧測定、心電図モニター装着、血液検査などは一切行いません。それらの情報があっても、治療するわけではなく、患者さんは測定のために苦痛を感じるだけだからです。日本では当たり前のことが行われず、初めは不安でした。しかし緩和ケアでは、数値や心電図の波形からではなく、本人の様子を見て状態を知り、必要なケアを行うことを学びました。
 死期が近くなると、日中も眠ることが多くなります。痛みが出なければ、背もたれを倒せるゆったりとした車いすに座ってもらい、快適に過ごせるように工夫します。
 食事や水分が取れなくなっても、胃ろうを造ることや、点滴をすることはありません。体の働きが止まっていく段階では、水分を投与しても体はそれを活用できないからです。食事は、本人が食べたいもの、飲みたいものを望む分だけ介助します。無理強いしません。

<終末期の食事の目的は味を楽しむこと>
 終末期の食事の目的は、栄養を取ることではなく、味を楽しむことだからです。甘いものが好きな人には、アイスクリームやチョコレートを口にいれます。飲み込みが悪い人には、好きな飲み物をスポンジに浸して舌の上に載せます。
 食べる雰囲気も大切です。夏はさわやかな空気を感じられる窓辺や庭、12月はクリスマスの音楽が聞こえる部屋など、本人の好む場所を用意します。
 家族を支えることも、大事なケアの一つです。私がスウェーデンらしいと思ったのは、スタッフがコーヒーとクッキーを持って家族の所へ行き、座ってゆっくりと話をしていたことです。お茶を飲みながら話を聞くことで、家族が何を求めているのかを知り、より良い関係が作れます。本人の人生について語ることができた家族の多くは、亡くなった1か月後の遺族ケアで、「悲しみだけではない、意味のある時間を送れた」と言います。
 緩和ケアだけで最期の時を待つことは、本人と家族にとり、簡単なことではありません。しかし、スウェーデンの介護施設や病院では、職員皆が、本人中心の緩和ケアが良いと考えています。そのため、本人も家族も納得して満足して、最期の時が迎えられます。

<日本も60年ぐらい前は自宅で穏やかに>
 (宮本礼子 内科医)我が国も60年ぐらい前までは、高齢者は自宅で穏やかに亡くなっていました。生まれることと死ぬことは自然なことなので、寿命に 抗あらが わず、余計な医療を行わなければ、穏やかに死んでいくことができます。
 私の患者さんで、経管栄養や点滴をしないで、食べるだけ飲めるだけで眠るように亡くなった方を紹介します。

<眠るように亡くなったアルツハイマー病の90代女性>
 亡くなる4か月前から食欲がなくなり、食べる量が減りました。息子さんに人工栄養(点滴、 鼻腔びくう や胃ろうからの経管栄養)を望むかどうかを聞いたところ、「自分はいつまでも生きていてほしいけれど、母は延命されることを望まないので、延命はあきらめます」と言いました。そのため、食べるだけ飲めるだけとしました。
 亡くなる1か月前から食事は数口になり、2週間前には少量のお茶だけになりました。4日前には「食事はいりません、温かいお茶が飲みたいです」と言い、2日前は「ごめんね、お茶はほしくないのよ」とお茶も飲まなくなりました。
 前日は「ありがとう。そばにいる? いてくださいね」と言い、当日は家族がまもなく来ることを伝えると、うっすら目を開けて「あ~、そうかい」と言い、8時間後に眠るように亡くなりました。
 延命されている期間が長いと、昏睡状態になります。一方、食べるだけ、飲めるだけの自然な死では、別れを言える人がいます。90代のあるアルツハイマー病の女性は、お嫁さんに初めて「ありがとう。世話になった」と言って亡くなりました。
 人は全く飲食をしなくなると、2週間以内に亡くなります。そのため、極端にやせることもなく、自然な姿で亡くなります。看護師はご遺体が美しいと言います。余計な点滴や経管栄養をしないので肺炎などを起こさず、熱も出ず、痰も出ません。

<眠るような死を見て、家族も「自分もこのように…」>
 眠るように亡くなった人の姿を見ると、これが本来の死の姿であることに気づきます。ある家族は、「自分も将来、このように亡くなりたい」「こんなに安らかに死なせていただき、何とお礼を言えばよいのかわかりません」と言いました。
 ある看護師は「今まで、通常の量の点滴をして亡くなった患者さんは、皆苦しそうだったけれど、食べるだけ飲めるだけで点滴を行わない患者さんは、どの人も死に向かって穏やかになっていった。こんなに穏やかな死は見たことがない」と驚いていました。
 また、別の看護師も「私は若いころ、病院という所は何か治療をしなければいけない所だと思っていた。だから何もしない患者がいると、どうして退院しないのだろうと納得がいかなかった。しかし今は、治療をしないで穏やかに看取ってあげるのも私たちの仕事だと思えるようになった」と言いました。
 「おなかがすいたり、のどが渇いたりして、苦しまないだろうか」と心配する家族がいます。しかし、亡くなる人には栄養も水分も必要ないので、おなかもすかず、のども渇かないのです。
 終末期の患者にとり、脱水や低栄養はむしろ良いことです。なぜかというと、脱水や低栄養になると、脳内麻薬であるβエンドルフィンや血中のケトン体が増加します。血中のケトン体は、栄養源として自分自身の脂肪が使われることで増加します。そのため意識が 朦朧もうろう として気分が良くなるのです。終末期に点滴や経管栄養を行うと、このような恩恵が受けられません。枯れるように死んでいけば、楽に死ねるように私たちは創られているのです。

<日本も介護施設での看取りが増加>
 20年ほど前にスウェーデンに行った時、高齢者は延命されないで穏やかに亡くなっていることを知り、心底驚きました。その当時の日本では、延命は当たり前で、穏やかに最期を迎えている人はいなかったからです。
 しかし、この20年で日本もスウェーデンのように、介護施設で延命されずに、安らかに看取られる高齢者が増えてきました。その数は12%(※)とまだ少ないですが、20年前は極めてまれだったことを思うと、隔世の感があります。高齢化が進み、延命を望まない人が増え、訪問診療医が自宅や介護施設で、延命せずに看取ってくれるようになったからだと思います。人はいつか必ず死にます。その時、穏やかに亡くなっていきたいものです。
(※)全死亡者に対する割合のため、高齢者に限ればさらに多くなると思われる
https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20250324-OYTET50010/
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 死生観は個人だけでなく国や地域によって異なります。この世では誰もが生老病死を経験します。その中で老いて病を迎えるときに、どのような治療を望むかは人それぞれ異なりますが、その時になって後悔しないようにしたいものです。

2026年07月25日