#629 切磋琢磨
2月も中旬となり、ようやく春の兆しが感じられる頃となりました。梅の花は満開で、早春の雰囲気が漂っています。冬至の頃と比べて昼間の時間が少しずつ長くなっているからでしょうか、明るい日差しが窓に差し込んでいます。もう2週間もすれば3月弥生を迎えます。春はもうすぐそこまで来ています。
さて、冬季オリンピックが始まり1週間が経ちました。今大会も日本選手の活躍が話題となっています。今日現在のメダル獲得数は金3個、銀3個、銅8個、計14個となっており、総数ではアメリカと同位の3位となっています。さらにマスメディアはメダルを獲得した選手に焦点を当て、選手へのインタビューや特集番組を組みます。しかし、ここで忘れていけないのが、メダルを獲得した選手だけでなく、その背後に切磋琢磨した無数の選手がいることです。
競技人口が多ければ多いほど、競争が激しくなり、それだけいっそう代表選手になるのが難しくなります。オリンピックは4年に1度しか開催されず、選手の年齢や出場機会を考慮すると、大半の選手は人生に1,2度しかオリンピックに参加できません。そして出場機会はあくまでも国の代表となる場合のみです。そのような厳しい競争環境におかれても、選手たちは4年間に人生のすべてを賭けて自分を極限に追い込み代表になりたいと思います。
私たちは彼らの生き方に感動し、声援を送り、賞賛します。そして彼らの活躍は獲得メダルに関わらず私たちを鼓舞します。これがオリンピックやサッカーなどのワールドカップを始めとする世界大会、そして国内大会で私たちが出場選手にエールを送る理由です。
国内では高校野球や春高バレー、サッカーやラグビーの全国大会、陸上やマラソンなど様々な競技に多くの選手たちが参加しますが、頂点を極めるのはわずか1チームまたは1個人です。彼らの背後には何千・何万という競技者がいます。どの競技でもそうですが、お互い切磋琢磨し合うことで自分の技術を伸ばし精神的に成長し、メダリストになるまで努力し続けます。時にはスランプに陥り、何度も挫折を味わうことでしょう。しかし、それを乗り越えることで次の段階へと進み、最終的に競技の代表者になれるのです。
当然ながら代表選手になるためには、競技者の能力や努力だけでなく経済的な状況が深く関係してきます。芸術家もそうですが、金銭という現実的な問題がからんできます。海外遠征や国内遠征は言うまでもなく、競技用の道具を購入したり、コーチ代や競技にかかる諸費用など個人で負担しなければなりません。大手企業のスポンサーがあれば負担は軽いのですが、スポンサーがつかないと競技を継続することが難しい選手も少なくありません。彼らは経済的な負担を承知の上で自分の夢に向かって競技人生に全力で取り組みます。そのような状況下にいるすべての競技者にエールを送りたいと思います。
私たちは努力に応じて夢が実現すると思いがちですが、実際は必ずしもうまく行くとは限りません。アスリートは競技当日の調子や精神状態、そして運など、全ての条件が合わないとメダル確保は難しく、今日の男子フィギュア・スケートの米国選手マリニンが良い例です。団体戦ではほぼパーフェクトの演技でしたが、本日のフリーでは有りえないほどの連続ミスでメダルを取ることができませんでした。それほどオリンピックでメダルを取ることは至難の業です。勝利の女神を呼び込むために勝利への全ての条件が揃わないといけません。これは全ての競技者にとり永遠の課題です。
また平野歩夢選手は1月のW杯で骨盤と鼻骨を骨折する大けがを負いましたが、満身創痍で競技に参加し7位に終わりました。彼は痛みとの戦いで競技できる状態ではありませんでしたが、「生きるか死ぬかの覚悟で挑んだ。生きててよかった」という言葉を残しています。彼のオリンピックへの生きざまにエールを送ります。
今回の冬季オリンピックは時差の関係で深夜から早朝にかけて競技が行われますので、観戦するのが大変ですが、多くの日本人アスリートが活躍するのを期待したいものです。ガンバレ日本!
追記:
『9年前、死と1cmの境界線 平野歩夢の言葉「生きててよかった」に透けた重み…苦渋の選択が救った命』
ミラノ・コルティナ五輪のスノーボード男子ハーフパイプ決勝が13日(日本時間14日)に行われ、平野歩夢(TOKIOインカラミ)は演技後に実感を込めた。大会1か月前の複数箇所の骨折に耐えながら、86.50点で7位入賞。テレビインタビューで「生きててよかった」と言った。
もしかすれば、競技をあまり深く知らない人からすれば、大げさに聞こえるかもしれない。ただ、平野の言葉には重みがあった。
<9年前――平野は死と1センチの距離にいた>
それは18年平昌五輪の1年前、17年3月のUSオープンだった。当時18歳の平野は4回転技の着地で転倒。体は氷のように硬い壁へ叩きつけられた。
ハーフパイプの壁は、ふわりと受け止めてくれる雪ではない。重機で圧縮され、削られ、固められた氷壁だ。
あまりの強い衝撃に血の気はどんどん引いていく。顔は青ざめていった。ただ負けず嫌いの小さな体からあふれ出るアドレナリンは、激痛を吹き飛ばす。気が付けば、自然と「もう1本滑る」と口にしていた。
周囲は必死に棄権を促す。それでも平野は「もう1本」と譲らない。危険なのは明白だったが、闘争本能でなかなか首を縦にふれなかった。ただ周囲の鬼気迫る説得、最終的には父・英功さんにさとされ、ギリギリでうなずいた。棄権を選んだ。
結果的に、この苦渋だった選択が文字通り命を救った。すぐに試合会場から救急搬送された。運ばれた先は集中治療室だった。手術が終わると、医師から衝撃の事実を告げられた。
「1センチずれていたら死んでいたよ」
というのも肝臓は破裂し、膜1枚でつながっていた。もし、あの「もう1本」を強行していたら…。、体内で大出血を起こしていた可能性は高かった。まさに命の境界線だった。
この時に負傷した左膝が完治した後は、恐怖心を乗り越え、平昌五輪では14年ソチ大会に続く2大会連続銀メダルを獲得した。ひたすらに勝つ姿をイメージし、地道にできることに徹した。
その後、21年東京五輪ではスケートボードのパークに出場し、新たな道を切り開いた。22年北京五輪は金メダルを獲得し、世界王者となった。当時、決勝2本目に五輪史上初の「フロントサイド・トリプルコーク1440」を成功させたが、まさかの2位。それでも3本目で完成度を上げ、ジャッジの評価を覆し、頂点に立った。
常に自分を高め、平野にしか見えない景色の中で生きている。夏も合わせて5大会目のオリンピック。やっぱり平野歩夢は強かった。
https://www.msn.com/ja-jp/sports/othe
r/9年前-死と1cmの境界線-平野歩夢の言葉-生きててよかった-に透けた重み-苦渋の選択が救った命/ar-AA1WkKm5?ocid=hpmsn&cvid=3c8c7f376b25438b9944fc18e6193c47&ei=19