#377 さよなら、ツンドラ
今年のゴールデンウィークも昨年と同じように新型コロナの影響で各地で外出自粛が呼びかけられています。福岡市ではドンタクも中止となり、静かな5月の連休となっていまが、昨年と異なり、多くの人たちが様々な観光地や繁華街へ繰り出しています。変異株の猛威により福岡県の新規感染者は400名を超えており、このままいけば大阪や東京のような状況になりかねません。
変異株が現在緊急事態宣言を発出している地域だけでなく、全国的に拡大しています。政府がいかに自粛を呼びかけても一般市民が自粛の意識が無ければ、いつまでも新コロの影響は無くならないでしょう。東京オリンピックの開催も危ぶまれます。中国のように強制的に人民を隔離することができない以上、私たち一人ひとりが感染を防ぐために意識を持たなければこの状況は改善できないでしょう。その結果、当然東京オリンピックは中止になります。
さて、新型コロナの影響で様々な業種で倒産や事業縮小などの悪影響が生じています。特に外食関連の倒産件数が増えています。このことは老舗の店も例外ではありません。福岡で私が一番好きだったレストランも諸事情により5月7日に閉店となりました。福岡で一番の老舗のロシア料理「ツンドラ」です。先日西日本新聞にツンドラに関する記事がありましたので転載します。
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『ロシア料理名店「ツンドラ」61年の歴史に幕 天神、5月閉店』
福岡市・天神地区にあるロシア料理の老舗「ツンドラ」が、5月7日で61年の歴史に幕を下ろす。20代から店に立った2代目経営者の徳永哲宥(てつひろ)さん(77)が、後継者の不在や地価の上昇などを考慮して決断した。九州のロシア料理店の草分け的存在で、多くの人に親しまれた。惜しむ声が広がっている。
ツンドラを創業したのは徳永さんの母、初美さん(故人)。1950年代後半、東京にいた息子に会いに上京した際、国内初のロシア料理店「渋谷ロゴスキー」に立ち寄った。その味に感動し、福岡で同業の店を開くことを思い立ったという。
店に1カ月泊まり込んで修業した。冷戦の真っ最中で、当時行き来が難しかった旧ソ連も訪問。各地を巡って料理を学び、帰国したという。徳永さんは「無鉄砲で、バイタリティーあふれる人だった」と母をしのぶ。
60年に開業。店名は「他にない名前を」と考えた初美さんが、世界地図に「ツンドラ地帯」とあったことから決めた。当時、洋食を提供する店は少なく、瞬く間に人気に。日本人だけでなく、米軍基地から米兵たちも訪れた。
名物は伝統料理「ボルシチ」。本場では西洋野菜ビーツの色素でスープを赤に染め上げるが、創業時は手に入らずトマトピューレで代用した。それが60年続く「ツンドラ流」となった。「創業から調理法や味付けは変えていない。長く続いた理由の一つかもしれません」と徳永さん。
ここ数年、母や店を長年支えてくれた親族が、相次ぎ亡くなった。店は、再開発が進んで地価が上昇する天神に隣接する中央区大名にあり、今後、賃料の値上げも予想される。「潮時かな」と考えるようになった。事業譲渡も検討したが、コロナ禍で不調に終わった。閉店を決断した。
4月に入り、常連客に閉店を伝え始めた。中には毎週通う高齢夫婦や、ひ孫まで4代連れ立って来店する家族もいる。「思い出の場所だ」「やめないで」と言われると、徳永さんは目頭が熱くなる。
営業最終日まで残りわずか。「最後まで、大人にも子どもにも『おいしい』と言ってもらえる料理を提供できるよう頑張りたい」。店を、料理を通じて、多くの人の心とつながりが持てたことに感謝する。
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/726299/)
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この「ツンドラ」には懐かしい思い出があります、私が大変お世話になった方の誕生に有志の方々でお祝いをし、ツンドラで晩餐会を毎年開いていました。出されるロシア料理は本当に一流の味で、毎年この日を楽しみにしていました。ツンドラでの夕食後は全員で西鉄グランドホテル内のカクテルバーで深夜遅くまで様々な話題を心行くまで談笑し合ったものです。その方もすでに他界されて、その後ツンドラで食事を楽しむことは無くなりました。ツンドラ閉店のニュースを聞いて、早速ツンドラに電話しましたがすでに7日の閉店まで予約で一杯とのことでした。残念ながらツンドラの料理味わう機会は永久になくなりました。
時代の流れとともに、人も物も様々なものが変遷していきます。そして消え去ったものは思い出の中にいつまでも静かに佇んでいます。誰でも一度や二度はふり返ってみたい出来事があります。今日は懐かしい思い出を少し語ってみました。