#528 母の故郷
今日は3月31日です。令和5年度も今日で終わり、明日から令和6年度が始まります。昨日の晴天で桜の開花が一気に進み、今週末は満開になることでしょう。地球温暖化のせいか、ここ数年は桜が散って入学式を迎えていましたが、今年は桜花が散る前に入学式を迎えることができそうです。
さて、金曜日に用事で柳川へ行ってきました。いつも福岡に行くときに柳川駅で車窓から駅の周囲の景色を見ていましたが、柳川で下車したのはおよそ40年ぶりとなります。柳川は亡き母の故郷で(正確には三橋町です。)、小学生の頃までは毎年お盆の母の里帰りの際に一緒について行ったものです。いつもは柳川駅から堀川バスに乗りますが、今回は昔の記憶を頼りに母の生まれた町を徒歩で散策しました。母の実家は島田天満宮の近くにあり、実家に行く前にいつも天満宮に参拝していましたので、今回もその道順で歩きました。
駅から徒歩40分ほどで天満宮に着きました。柳川と言えば、いたる所にお堀、つまりクリークが流れており、柳川の独特な風景を形作っています。天満宮のそばにもにクリークが流れており、それが近くの塩塚川に注いでいます。幼い頃の記憶によると天満宮の境内に閻魔様の像があり、その怒りに満ちた顔が怖かったことを覚えています。また極楽図や地獄図も境内に飾られており、今回もお目にかかれることを期待していましたが、その面影は全くありませんでした。40年も経った現在の天満宮は以前の面影はなく、少し朽ちた印象が時の流れを如実に表していました。
天満宮を後にして、はるか昔の記憶を頼りに細い道を歩いていくと、確かに母の生家がありました。私の覚えている生家は玄関を入ると土間があり、裏庭には少しの畑やあり、鶏が数羽いて、奥にはポンプ式の井戸があったことを覚えています。ここには現在母の弟さんが住んでいらっしゃいますが、今回は立ち寄らず周囲を散策しました。生家は新しく改築してあり、表札を見るまでは母の生家とは気づきませんでした。40年という時間が現在と昔の思い出をつなぐのを困難にしています。ただクリークの存在と周囲の田畑が昔も今も変わらず思い出をつないでくれています。
すこし時間がありましたので、柳川雛祭り名物の「さげもん」を見に行きました。柳川駅前の案内所で頂いたパンフレットによると、「さげもん」の由来を次のように説明しています。
----------
「さげもんの由来」
江戸末期頃より女の子が生まれると、お雛様の代わりに古着の端切れで小物を作り飾ってお祝いしたのが始まりといわれています。袋物には鶴、亀、えび、といった縁起の良い物で、一つ一つが袋物になって物を入れることができます。縁起物を吊るして初節句の女の子の幸せと健康、無病息災、良縁を願って飾る「さげもん」。親から子へ、子から孫へ受け継がれ、地域みんなで初節句を祝う風習が今なお続き、心温まる思いやりと地域の絆を大切にしています。
----------
何件か「さげもん」専門店を見て回りましたが、外人観光客も多く出入りしており、観光地柳川のイメージを強く感じました。「さげもん」の値段は様々です。大きなものでは10万円を超す「さげもん」もありました。また受注生産が基本で、初節句を迎える家からの注文で賑わうそうです。
今回は柳川市内の中心に行く機会はありませんでしたが、北原白秋の生家を含め、まだ行っていない地域にぜひ行ってみようと思います。母の生まれ育った柳川、懐かしい響きとともに幼い頃の思い出がよみがえってきます。