#580 御花

 ようやく暖かな春の日差しが降り注いでいます。異常に寒かった冬がまるで嘘のようです。気温も場所によっては25度を超え、春というより初夏を思い起こさせます。いよいよ春本番に向かってサクラも一斉に咲きほこることでしょう。福岡は3月25日が開花日と予想されていますが、満開まで一気に進むのではないかと思われます。
 さて、昨日は柳川の御花まで行ってきました。実は20年ほど前に福岡雙葉学園の生徒のホームステイ引率でニュージーランドのオークランドに滞在しましたが、その時私がお世話になった御夫妻が今週福岡に旅行に来られて会うことになっています。福岡には10日ほど滞在されますが、ホームステイの御礼として柳川に招待できればと思っています。
 柳川は最近外国人観光客に人気があり、特に東南アジアの観光客が多く訪れています。私の亡き母は柳川の三橋生まれ(柳川駅の東側地区)ですが、御花のある沖端(駅の西側地区)には一度も行ったことがありませんでした。柳川を案内するのに自分が知らないでは、いろいろな意味で不都合になりますので、その下見を兼ねて行ってきました。
 西鉄柳川駅から徒歩で御花まで1時間ほどかかりましたが、陽光を背に浴びながら気持ちのいい一日でした。柳川は現在「柳川雛祭り」の最中で4月3日まで行われます。街中いたるところで「さげもん」が下がっています。駅の案内所で頂いた資料によりますと、さげもんの由来は次のように書かれています。
----------
≪さげもんの由来≫
 江戸末期頃より、女の子が生まれると初節句のお祝いに、お雛様の代わりに古着の端切れで小物を作り飾ってお祝いしたのが始まりだと言われています。
 袋物には、鶴、亀、えび、三番叟といった縁起の良い物で、一つ一つが袋物になって物を入れることができます。竹の輪に7個7列の49個、中央に柳川まりを2個さげて全部で51個、人生50年と言われていた時代に一年でも長生きしてもらいたいという切なる親の願いが込められています。
 縁起物を吊るして、初節句の女の子の幸せと健康、無病息災、良縁を願って飾る「さげもん」。親から子へ、子から孫へ受け継がれ、地域みんなで初節句を祝う風習が今なお続き、心温まる思いやりと地域の絆を大切にしています。
----------
 さて御花に着いて入場チケットを購入し、柳川藩主立花邸御花の内部を見て回りました。資料によりますと、御花は1738年に柳川藩第5代藩主、立花貞俶(さだよし)が家族と過ごすための場所として、この地に屋敷を設けたことが始まりです。現在残っている松濤園や大廣間、西洋館などは1910年に14代立花寛治(ともはる)によってつくられました。現在、約7000坪の敷地全体が国指定名勝に指定されています。
 現在、御花の社長さんは福岡雙葉の卒業生で、彼女が高校2年生の時に英語の授業を担当しました。彼女の友達からは「姫」と呼ばれていたのを思い出します。なお御花から徒歩で5分ほどのところにある北原白秋の生家にも立ち寄りました。白秋が生存中の様々な生活品が展示されており、彼が生きた柳川の雰囲気が醸し出されていました。
 柳川は歴史のある街で、柳川独自の文化はこれからも長く続いていくことでしょう。観光客が一度は訪れてみたい場所です。

2025年03月23日