#408 神田川、逝く

 すでに師走を迎え、今年もひと月足らずとなりました。ついこの前正月を祝ったばかりでしたが、もう1年が瞬く間に過ぎてしまいました。本当に月日の経つのは早いものです。
 さて、先月22日に「神田川」の作詞をした喜多條忠さんが逝去されました。「神田川」は南こうせつさんの率いる「かぐや姫」のベストヒット曲ですが、喜多條さんはデビュー作として「マキシ―のために」の歌詞も書いています。読売新聞には次のような記事が載りました。(読売新聞からの転載です。)
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『名曲「神田川」の作詞家・喜多條忠さん死去、74歳…南こうせつさん「大事な戦友失った」』
 「神田川」など多くの作品を生み出した作詞家、喜多條忠(きたじょう・まこと)さんが11月22日、肺がんで死去した。74歳だった。告別式は近親者で行った。喪主は妻、輝美さん。
 大阪府出身。早稲田大学入学後、学生運動に飛び込み、大学は中退。放送作家をしていた時、南こうせつさん率いるフォークグループ「かぐや姫」に詞を提供。「神田川」「赤ちょうちん」「妹」を大ヒットさせた。特に、「 貴方あなた は もう忘れたかしら」と歌い出す「神田川」(1973年)は、自身の学生時代の体験をもとに、3畳一間の下宿で 同棲どうせい する男女のささやかな暮らしを描き、共感を呼んだ。「小さな 石鹸せっけん  カタカタ鳴った」という映像を喚起させる一節もあり、名作として歌い継がれている。
 青春のほろ苦さを表現したフォーク、恋愛の機微を描いたポップス、日本情緒に彩られた演歌と、その作風は多彩で、幅広い世代から支持された。ほかの代表曲に、キャンディーズ「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」、梓みちよ「メランコリー」、柏原芳恵(当時・よしえ)「ハロー・グッバイ」、山内恵介「スポットライト」など。小説も執筆していた。日本レコード大賞作詩賞などを受賞。2014年から20年まで日本作詩家協会会長を務めた。

<南こうせつさんのコメント>
 「神田川」などを作曲し、歌った南こうせつさんがコメントを発表した。
 喜多條さんの体調不良は知っていましたが、こんなに早く亡くなるとは思っていませんでした。奥様からの留守電で訃報を知って驚いています。
 最後に喜多條さんにお会いしたのは、今年の11月5日。御自宅に伺って、ベッドの上に仰向けのままの喜多條さんと、時に手を握りながら1時間くらい話をしました。「二人でもう一度いい歌を作ろうよ、神田川の次は三途の川じゃないからね」と冗談を言ったり昔話をしながら、喜多條さんは涙を浮かべて微笑んでいました。
 お互いまだ学生だった頃、喜多條さんは文化放送の新人の放送作家、僕はペーペーのミュージシャンでした。文化放送の近くの喫茶店で二人が意気投合して、いつかきっと青山にでっかいビルを建ててみんなで夢を語れる自由なお城を作ろうよ!と語り合ったのがつい昨日のことのようです。
 また一人大事な戦友を失い、寂しい気持ちでいっぱいです。僕はこれからもギターを抱えて歌っていくからずっと空から見守っていてください。
 さようなら喜多條忠!
(https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211130-OYT1T50248/)
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 この「神田川」の誕生秘話として次のような話があります。喜多條さんが「神田川」の詩を創り、電話でその詩を南こうせつさんに伝えたところ、こうせつさんは歌詞を書きとりながら自然とメロディーが浮かんできたそうです。歌詞のもつ不思議な力なのでしょうか。世代を超えて今でも歌い継がれている名曲です。
 かぐや姫は「神田川」の他に、「赤ちょうちん」、「妹」、「22才の別れ」、「なごり雪」など今でも痛い継がれている多くの歌があります。
 なお、生命の永遠の尊さを歌った音楽作品「千の風になって」の訳詩と作曲などで知られた芥川賞作家の新井満(あらい・まん、本名・みつる)さんが3日、 誤嚥 性肺炎で死去されました。お二人のご冥福を心よりお祈りします。

2021年12月05日