#619 王様のレストラン
12月になりますと、さすがに朝夕はかなり寒くなります。今朝の大牟田の最低気温は-2度を記録し、今冬一番の寒さとなりました。しかし10年前の冬には-7度を記録し、市内の水道管が凍結して数日間給水車が出動したことが記憶にあります。今年の冬はどのような冬になるでしょうか。今から心配です。
さて、「王様のレストラン」というドラマを覚えている方もいらっしゃると思います。30年前にヒットしたコメディドラマです。先日までテレQで放送されていました。早く帰宅したときには時々懐かしく見ていました。
このドラマには個人的に思い入れがあります。日本で放送されたのが1995年だと思いますが、私はシドニー滞在していたときに友人に頼まれ1週間ほど彼のアパートの留守番をしたことがあります。その際に視聴するように勧められたのが「王様のレストラン」でした。普段あまりドラマを見ない私は友人のアパートで暇つぶしにそのビデオを見た思い出があります。予想外に面白く一気に視聴したことを今でも思い出します。ご存じの無い方にあらすじを紹介します。(ウィキペディアより)
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『王様のレストラン』
1995年4月19日から7月5日まで毎週水曜21時 - 21時54分にフジテレビ系「水曜劇場」枠で放送されていた日本のテレビドラマ。脚本は三谷幸喜。主演は九代目松本幸四郎。
<あらすじ>
原田禄郎は父親の死で突然、フレンチレストラン「ベル・エキップ」の若きオーナーになった。レストランにはシェフ磯野しずか、バーテンダー三条政子、禄郎とは腹違いの兄で総支配人の水原範朝ら若者たちが、なんとなく働いていた。そんな若者たちの前に、揺るがぬ情熱と厳しいプロとしての生きざまを持つ一人の男、千石武が現れる。
千石は、今でこそ給食センターで働いているが、若き日にはフランスで修業したこともある有能なギャルソンだった。頑固で厳格、プライドも高く、一時はその名を響かせたこともあったがある日その姿を消していた。客も来ず赤字続きで潰れかかったフレンチレストランの再建を目指し、千石に触発された若者たちの奮闘する様子が、シニカルで痛快な人情味いっぱいの人間ドラマとして展開される。
<登場人物>
千石 武〈47〉 / ギャルソン(給仕) - 九代目松本幸四郎(現:2代目 松本白鴎)
原田 禄郎〈24〉 / パトロン(オーナー) - 筒井道隆(子供の頃:大江壮陽)(第3話)
磯野 しずか〈30〉 / シェフ・ド・キュイジーヌ(料理長) - 山口智子
三条 政子〈28〉 / バルマン(バーテンダー) - 鈴木京香
水原 範朝〈35〉 / ディレクトール(総支配人) - 西村雅彦
梶原 民生〈47〉 / メートル・ド・テル(給仕長) - 小野武彦
稲毛 成志〈33〉 / シェフ・パティシエ(菓子職人) - 梶原善
大庭 金四郎〈36〉 / ソムリエ - 白井晃
和田 一〈29〉 / コミ(食堂主任) - 伊藤俊人
畠山 秀忠〈30〉 / スー・シェフ(副料理長) - 田口浩正
佐々木 教綱〈22〉 / プロンジュール(皿洗い) - 杉本隆吾(松髙タケシ)
ジュラール・デュヴィヴィエ〈24〉 /(食材管理、オードブル担当) - ジャッケー・ローロン
なお、最終回にゲストとして橋幸夫が登場します。また番組のエンディングソングは平井堅が歌っています。
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上記の出演俳優は今ではみなさん一流のベテラン俳優になられています。私は特に快活に演技されていた伊藤俊人が好きでしたが、残念ながらすでに死去されました。
私は1995年5月から1998年3月までオーストラリアのシドニーに滞在し、マコーリー大学とシドニー大学、2つの大学院で勉強しましたが、上記のビデオを見た時期が確かシドニー滞在初年の1995年8月と思います。日本で放送された番組が早くもオーストラリアで見られたことになります。友人が所有していたビデオには東京のコマーシャルが流れていましたので、友人の知人からもらったものだと思います。(まだDVDが販売されていない頃です)
1995年当時はまだインターネットの普及が始まったばかりで、今のように海外で日本のニュースやドラマが自由にみられる時代ではありませんでした。日本に関する情報は多言語放送を行うSBSという放送局が前日のNHKニュースを毎日30分流していました。またSBSは月に1,2回日本の映画も流していました。「男はつらいよ」も時々放映されていました。
シドニー北部のノース・シドニーには日本領事館があり、そこで月に1回比較的に新しい映画を上映してくれましたので、時々日本映画を見に行ったことがあります。またシドニーの中心地区には日本人会が入居しているビルがあり、そこには多くの日本に関する書籍が保管してありました。なお日本人向けの月1回のタブロイ新聞や情報誌が無料で発行されており、地元の日本人向けの情報を入手することができました。
今となってはすべてが思い出となり、今でも懐かしく思い出されます。あれからすでに30年経ってしまいました。機会があれば再びシドニーを訪れたいと思っています。