#118 大牟田の夏祭り
昨日と今日は大牟田の夏祭り「おおむた大蛇山祭り」が行われています。私の子供の頃は7月21日、22日に行われて、大蛇山とともに夏休みが始まったことを思い出します。昨日は塾も休みにして、生徒たちは祭りを見に行きました。ここで、「おおむた大蛇山祭り振興会」のHP(http://www.omuta-daijayama.com/)から少し引用します。
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〇大牟田の勇壮な夏祭り
おまつりの期間中は約35万人の人出で賑わうおおむた「大蛇山」まつり。始まりは三池地方の祇園社の祭礼に伴う行事で、はっきりとした文献はありませんが、寛永17(1640)年に三池祇園社が建てられ、寛政3(1791)年の文献には地域の祇園さんのお祭りのことが書かれていますので、江戸時代の前期から中期にかけて始まったと考えられています。
山車に人が乗り、太鼓や鐘を打ち鳴らしながら、町中を練り歩きます。この山車のことを「大蛇山」と呼んでいます。大蛇山は、長さ約10メートル、高さ5メートル、重さが最大3トンにもなり、木製の山車に和紙、竹、わら等を組み合わせた、頭・胴体・しっぽをつくり、大蛇のように飾りつけがなされます。この勇壮な大蛇たちが、街の各所で、祭りに、そして人々の心に火をつけていきます。
〇遠い昔から守り続けられた祭り
300年以上も前にさかのぼると推定される大蛇山の起源。いくつかの言い伝えも残されています。
大蛇山は、こうしたはるかな時を重ねて、古いしきたりと伝統の技術で受け継がれてきた祭りです。竹材の枠に何重にも和紙を張り合わせて作るという、昔ながらの製法が今も守り続けられ、同じ山車はふたつとありません。毎年毎年、それぞれに意匠を凝らし、より迫力ある大蛇山を作るために努力が重ねられているのです。
〇大蛇山伝説(http://user.ariakenet.com/~egashira/daijyayamadensetu.htmより引用)
三池地方に昔から伝わる大蛇山伝説と三池の地名にまつわる伝説は次の様なものです。昔々、三毛の地に三毛中納言師親の娘で、それはそれは美しい「玉姫」という姫君が「ツガニ」を大層可愛がっていました。年が流れて姫が、十八歳の春を迎えた時に、三毛の地に不幸をもたらしていた山奥の「大蛇」を鎮めるために、人身御供として、さしだされる事になりました。そして世にも恐ろしい大蛇に、今にも飲み込まれそうになった時に、巨大なツガニが現れ、大蛇を頭・胴・尾と三つに断ち切りました。その時より山には三つの池が出来たとか。以来この地は三池といわれる様になりました。現在も三池山の中腹には、水の枯れることがない三つの池があります。今日まで「大蛇山」は祇園祭の神事として伝えられています。
江戸時代初め頃の三池(三毛)地方は、荒地が多く農産品の収穫は不安定、さらに疫病もはやり、時の領主により悪病よけと 雨乞いへの強い祈願が込められ、祭神を悪病よけや農業の神とする「祇園」のお宮が造られました。三池祇園の大蛇山は、古くからの水神信仰と三池藩の立花氏により導入された祇園信仰の二つの要素(どちらも農業に関係する神様である)により、やがて祇園の祭りに大蛇が取り入れられ「大蛇山」の形が出来たと言われています。
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本格的に暑い夏がやって来ました。今年も各地で猛暑が予想されています。読者の皆様も体調管理に充分お気をつけください。