#121 いのちの使い方(その1)
現在非常勤講師をしています学校が夏休みになりましたので、個人的に少々時間に余裕があり、この時間を利用してできるだけブログを進めていこうと思います。実際、非常勤講師と当塾の授業を掛け持ちしていますので、週30時間の授業を行っています。(非常勤講師授業19時間、当塾11時間、授業は3種類+8種類、計11種類を担当しています。)そのために普段は週1回程度のブログ更新しかできませんが、休みの期間中は比較的時間が確保できますので、日頃身の周りで気づいたことを述べてみようと思います。あくまでも「ひつじの独り言」です。(笑)
さて先月18日に聖路加国際病院理事長・名誉院長の日野原重明先生が105歳で帰天されました。日野原先生は医師としてだけでなく、様々な書籍や講演会を通して私たちに生き方を教えてくださった賢人でもあります。書店に行けば必ず先生の御著書が数多く置かれています。このブログを読まれている皆様も先生の御著書を1,2冊は読まれていることでしょう。今日は先生の「いのちの使い方」という本から少し引用して、先生の生き方、人生に対する考え方をお伝えしたいと思います。
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「いのちの使い方」日野原重明(小学館)より
人生を変える希望のメッセージをあなたへ 日野原重明
人生に何を期待できるかでなく、人生から自分が何を期待されているかを考える。つまり、これまで人生から受け取ってきたたくさんのものを考えれば、求めるばかりでなく、自分のいのちを使って、だれかのためにその恩恵を返すことがあっていいはずです。
人間は運命を生きるものではありません。人間は生き方を変えることができる。過去は変えられませんが、未来は自分でこれからつくれるものです。
予期せぬ災害に見舞われることが不幸なのではなく、そのときに、希望を失ってしまうことが不幸なのです。
やろうと思うだけでは、やらないことと同じです。行動こそが勝負です。
長生きもいいけれど、”1日を長く生きる”ことも大事です。
人は未知の分野に挑戦すると、これまで使われていなかった遺伝子が目を覚まして、活動し始めます。
”創(はじ)める”ことは年齢にいのちという水を注ぐことです。
死んでいった者のいのちの意味、残された者のいのちの意味を見つけることはできるはずです。その意味を見つけ出すことは残された者の使命ではないかと思います。
昔は”余生を暮らす”と言ったものですが、余った生、余分の生などというものはありません。
100歳を過ぎてもわからないことがまだまだある。それを知りたい、わかりたい、追いかけていきたい。その気持ちがあってこそ精いっぱい生きていけるのです。
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いずれの言葉も珠玉に満ちています。105歳で天寿を全うされた日野原先生に相応しい言葉です。(続く)