#88 Sayonara Nakamura
私が旅に出るときには、いつもポケットにラジオを入れて旅先で聴くことにしています。もちろんタブレットも使用しますが、現地の情報を気軽に手にするにはラジオが手軽で便利です。その土地に住んでいる人々の声が直に聞こえてくるからです。これは日本国内だけでなく、海外に行った時もホテルの部屋や休憩している時などにラジオのスイッチをいれて滞在先の雰囲気を感じることにしています。
数年前に韓国のソウルに滞在した時も、いつものように夜になってラジオのダイヤルを回したところ、微かですがNHK熊本放送が聞こえてきて少々驚きました。無論夜遅く韓国や中国からラジオ放送が聞こえてきますので、同様に韓国や朝鮮半島でも日本の放送が聞こえてくるのは当然のことと思います。電波の世界では国境はありません。世界的に見ればネットではなく、ラジオによる国際放送が依然として一般的で、短波ラジオが今でも必需品の地域が世界に多くあります。
ところで冒頭のタイトルですが、5年ほど前にオーストラリアのシドニーに滞在していた時に、聞いていたラジオから流れてきた曲です。当時はそれほど気にならなかったのですが、改めてネットで調べてみると次のようなことが分かりました。(以下のやり取りはYahooJapan知恵袋から引用しています。)
--------
質問:
ドナ・バークさんの「さよなら、ナカムラ」の作曲者は誰ですか。原曲といわれている曲を聴いたのですが、メロディーがぜんぜん違っていました。
回答:
「Goodbye Nakamura」とは、日本人の我々には気になるタイトルだが、実はこの曲はもともとはオーストラリア人のフォーク・シンガー、テッド・イーガンさんによって書かれたもの。ある日ドナさんがオーストラリア大使館で歌っていた時、一人の歳取った日本人男性が彼女のもとに近づき、「『Goodbye
Nakamura』という歌を知っていますか? 自分にとっては唯一その歌だけが日本とオーストラリアとを結びつける曲です」と、話しかけたという。
気になったドナさんは、「Goodbye Nakamura」という曲を探し出し、その曲が、20世紀初頭にオーストラリア北西部のブルーム沿岸で命を落とした日本人青年、ナカムラについて歌われていることを知った。オーストラリア北西部の小さな街、ブルームは真珠の産地として知られ、世界の四分の三の真珠が産出されているらしい。20世紀初頭、海に潜り、原始的で危険な方法で真珠をとっていたのは、日本人や中国人、マレー人やアボリジニたちだった。沖縄から出稼ぎに来ていたナカムラ青年もまたその一人で、沖縄に待たせたままの許嫁と再会を果たす直前に、彼は命を落としてしまった。「Goodbye
Nakamura」は、その実話が歌われたもので、その曲を聴いて感動したドナさんは、テッド・イーガンの曲を新たにフォーク・バラードにアレンジし、レコーディングもして、いずれアルバムの中の一曲に収めようとしていた。ところが今年1月にブルームで地元のラジオ局のライブに出演して歌ったところ大反響を呼び、急遽シングルで発売されることになったのだ。
シングルでの発売にあたり、日本語ヴァージョンも入れようということになり、ドナさんと知り合いの五十嵐正さんを通じて、日本語の歌詞を作る依頼がこのぼくにやって来た。ぼくもドナさんの歌う「Goodbye
Nakamura」を聴いて、とても感激したので、もちろんふたつ返事で引き受けた。日本語の歌詞を作るのはかなり難しかったが、原詞にできるだけ忠実に日本語の歌詞を作るよう心がけた。そして出来上がった日本語の歌詞を、ドナさんがとても素晴らしい、それもただじょうずなだけではない、心のこもった日本語で見事に歌っている。
--------
上記の通りなのですが、テッド・イーガン(Ted Eagan)が作った歌です。オリジナルタイトルは「Sayonara Nakamura」となっています。20世紀初頭に多くの日本人がハワイやブラジルなどに移住して行きました。この歌に登場するNakamuraさんも移住ではありませんが、オーストラリアまで出稼ぎに行っていたのでしょう。残念ながらオーストラリアの土地で亡くなりました。この歌を一度お聞きください。Ted
Eaganで検索すればYouTubeで彼の歌を聴くことができます。日本人のことを歌った数少ない名曲です。