#668 日本人の矜持

 朝から気持ちの良い秋晴れが続いています。今日は立冬です。暦の上では冬の始まりで、秋が極まり、冬の気配が立ち始める頃とされています。日中は暖かくても、朝晩の冷え込みが厳しくなり、本格的な冬支度を始める目安になります。確かに今日は立冬らしく晩秋の気配が漂っています。つい2週間前には真夏日に近い気温が記録されましたが、わずか2週間で季節は秋から冬へと向かっています。明日から大相撲九州場所も始まります。九州場所が終われば本格的な冬の訪れがやってきます。
 さて、海外の多くの難民たちを救った日本人の一人に杉浦千畝がいます。第二次世界大戦中にリトアニアでナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民に日本の通過ビザを発給し、約6,000人の命を救った日本の外交官です。
 またトルコのエルトゥールル号の「恩返し」もよく知られた話です。1890年(明治23年)9月、オスマン帝国(現トルコ)の軍艦エルトゥールル号が日本への親善訪問の帰り道、和歌山県串本町(紀伊大島)沖で台風に遭い座礁・沈没しました。嵐の中、オスマン海軍少将以下587名が殉職、生存者わずかに69名という大海難事故となりましたが、地元の住民(大島の漁師や村人)が自身の危険を顧みず、懸命な救助活動を行い、生存者を救出しました。助けられた生存者は日本の軍艦「比叡」「金剛」によってトルコへと送り届けられました。この時の献身的な対応は、トルコの学校教育でも教えられるほど国民に広く語り継がれています。
 話はこれだけでは終わりません。1985年3月17日、イラクのフセイン大統領が「48時間後にイラン上空を飛ぶ全航空機を撃墜する」と宣言し、テヘランにいた日本人200名以上が脱出手段を失い絶体絶命の危機に陥りました。各国の救援機や自国便の確保が難しい中、トルコ政府は自国民がまだテヘランに残っていたにもかかわらず、「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」として、2機のトルコ航空機をテヘランへ派遣し、日本人215名全員を救出してくれました。この出来事は日本とトルコの深い友好関係の象徴となり、その後の災害(東日本大震災や能登半島地震など)の際にもトルコからの支援やボランティア活動という形で「恩返し」の心が受け継がれています。(以上googleより)
 上記の話は教科書などでしばしば引用されますが、私たちが意外と知らない話もあります。日本とポーランドの友好関係です。今日はこの心温まる物話を「【海外の反応】パンドラの憂鬱」から転載します。
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『海外「日本だけが俺達を助けてくれた」 日本とヨーロッパ最強の親日国の歴史秘話が現地で再び脚光』
 今から100年以上前の1920年、当時シベリアにはロシア革命の混乱に巻き込まれた、多くのポーランド人家族が取り残されていました。過酷な環境や病気などによって親を失い、孤児となってしまった子どもは数千人にのぼっており、欧米各国が救済に消極的だった中で、唯一支援に乗り出したのが日本でした。
 ポーランド人組織の代表アンナ・ビェルケヴィチ氏が来日して外務省に切実な惨状を訴えると、日本側はわずか半月ほどで救済事業の実施を決定し、大正9年から大正11年まで計8回にわたり、ウラジオストクから福井県の敦賀港を経由して、子どもたちが次々と日本へやってくることになります。
 日本側は、痩せ細った子どもたちを温かく迎え入れ、衣類や靴を新調し、栄養豊富な食事を提供。そして数か月間の日本滞在で健康を取り戻した、765人の孤児たちが無事に故郷のポーランドに帰還。日本を離れる際、子どもたちは「君が代」を歌い、乗船を嫌がる孤児が沢山いたそうです。
 先月29日、ポーランド市民を救った外国人を称える、ヴィルトゥス・エト・フラテルニタス勲章の授与式が、ワルシャワのベルヴェデル宮殿で行われ、孤児の救済に動いた日本赤十字社の当時の社長、平山成信の子孫の方が代表して勲章を受章。その影響で、現在ポーランドのネット上は、日本によるポーランド孤児の救済秘話が話題となり、様々なSNSアカウントが発信しています。
 関連投稿には、ポーランドの人々から、感謝と感動の声が相次いで寄せられていました。その一部をご紹介しますので、ご覧ください。

■ 大叔父が日本に助けられた子どもたちの1人で、全部記録に残してるよ。 +59 

■ 僕のおばあちゃんも兄弟と一緒に救われたんだ。その時に日本人から教わった詩を、旅立つその日まで
  ずっと諳んじてたよ。 +14 

■ 日本人って今でも私たちに対して、敬意と親しみを持ってくれてるよね。それがすごく伝わる。 +74 

■ これこそ日本人の誇りの高さだ。 +16 

■ 覚えてるよ、ありがとう!それから第二次世界大戦中、ポーランド政府が日本に宣戦布告した時、日本が
  「これはポーランド自身の決定ではなく、同盟国の影響によるものだ」って正しく判断して、通告を受け
  入れなかったことも覚えてる。歴史上唯一の事例だよね!本物の魔法みたいだ……。 +5 

■ 全てのポーランド人が知るべき歴史がこれ。俺はこの歴史をよく知ってるけど、当時のポーランドの子ども
  たちに、これほど美しい優しさが向けられたわけだから。本当に信じがたい話だよ。日本に感謝と栄光を
  捧げたい!!! +76 

■ この慈善活動は貞明皇后が自ら後援した。1921年4月には病院を訪れて、病気の子どもたちを慰問されたんだ。 +44 

■ 対馬沖海戦のあとだけじゃなくて、帝政ロシア軍にいた同胞たちも、日本側に価値のある軍事情報を
  たくさん提供してたんだよね。 +5 

■ その孤児の1人が俺の祖父だった。俺が生まれる前に亡くなったから、その話はおばあちゃんから聞い
  たんだ。勇敢な日本国民に栄光あれ。 +12 

■ 日本とはかなり長くて良い外交関係があるな。第二次世界大戦があったにもかかわらずさ。「日本が隣国
  ならなぁ」 日本でのポーランドの認知度にポーランド人が大感激

■ 多くのポーランド人がこの話を知ってると思う。ドキュメンタリー映画も観たことあるし。素晴らしい歴史
  だよ。ありがとう! +4     注:「+数字」は「いいね!」の数です・
https://pandora11.com/blog-entry-5910.html
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 日本国内だけでなく、海外で災害が発生したときに自衛隊を始め、救助隊や医療チームが現地に駆けつけて様々な復興事業や医療活動を行い、現地の人々から感謝されています。このような日本の美徳は世界から賞賛されています。日本人の矜持(きょうじ)とも言える行動です。いつまでも世界中の人々から感謝される国でありたいものです。

2026年11月07日